【この記事は法務系 Advent Calendar 2022 における5日目のエントリーです】
今年は擬古文先輩こと@keibunibuさんからバトンをいただきました。
(Twitterのスペースと連動した企画は、視聴者側が主体的に関与できる感じもあって面白いですよね。教育の分類、興味深く拝聴&拝見しました。私の今日の記事とは少しずれてしまうので、感想は脚注で。*1)
*1:@keibunibuさんの記事のうち、「暗黙知」についての「先輩やその他の師からの稽古、OJT」という部分にひっかけて少し感想を書いてみます。私は司法修習終了後に法律事務所に行かず、新卒としてコンサルティングファームに行ったのですが、教育という言葉を聞いて思い出すのはやはりこの頃の経験です。ペーペーだったジュニアスタッフ時代の「師」というと尊敬する先輩の顔が思い浮かびますし、現場を任されるようになったシニアスタッフ時代ではクライアントの顔が「師」として強く思い浮かびます。
尊敬を集めるコンサルの先輩は多忙で、仮説を持たずに質問にいけばひたすら詰められました(仮説を持っていってもひたすら詰められました)。またクライアント、とりわけプロジェクトオーナーを任されるようなキーパーソンは非常に深い学びを与えてくれる相手ではありますが、教育を受けるべき相手ではないので「教えてください」という態度で接していい訳ではありません。
そこでどうしたかというと、ひたすら先輩・クライアントに対する解像度を上げていきました。背景情報を事前にインプットし、発言の意図に想像を巡らせ、プロジェクトでの議論を通じてそれとなく答え合わせをしました。そうすると段々「この人だったらこの質問にはこう答えるだろう」「この人はこの状況ではこう動くんじゃなかろうか」といったことがリアルに想像できるようになっていき、自分の中に仮想的な先輩・クライアントの人格?のようなものが出来上がっていく感覚がありました。
こうなるともうこちらのもので、仮説なんか持っていなくても(自分の中の)先輩・クライアントに質問し放題なわけです。やわい初期仮説をぶつけても詰められることはありません。「あなたはお金を貰って教育を受けにきているんですか?」と嫌味を言われることもありません。
#萌渋スペースで「暗黙知は、形式知として引き出されて初めて暗黙知であったことが知覚される」(意訳)みたいなお話がありました。この話にはすごく納得感があったのですが、私はひょっとすると上記の方法で、先輩・クライアントの暗黙知を形式知として引き出すことを試みていたのかもしれないな…なんて振り返っていて思いました。
というわけで、とても学びの多いお話でした。@keibunibuさん含め#萌渋スペースの皆さんありがとうございました。関連して、少し前に@shibaken_law先生が話されていた「アレ取ってこい」の話も共通する部分があったなと思い出しました。